
なぜ、名前を隠してまで食べたのか!
秩父をはじめ、日本の山里を歩いていると、「山鯨(やまくじら)」や「牡丹(ぼたん)」といった不思議な呼び名に出会います。いずれも、猪肉を指す言葉です。
なぜ日本人は、わざわざ別の名前を使ってまで肉を食べたのでしょうか。ただの言葉遊びやごまかしでは片づけられない、切実な理由がそこにはあります。
仏教の影響で四つ足の動物を食べることが忌まれた時代。
それでも、厳しい冬を越え、病から回復し、生き延びるためには、山の命が必要でした。「食べてはいけない」と「食べなければ生きられない」。その狭間で生まれたのが、日本独特の知恵でした。
「山鯨」とは何か。隠語に込められた日本人の感覚
山鯨とは、猪を指す隠語です。海の鯨が魚として扱われていたことから、「これは四つ足ではなく、山の鯨なのだ」と言い換えて食べたとされています。
同じように、猪は「牡丹」、鹿は「紅葉(もみじ)」、馬は「桜」と呼ばれました。肉の切り口が花のように美しいことから生まれた、どこか風雅な表現です。
こうした隠語は、単なる嘘ではありません。自然への畏れと、命をいただくことへのためらい。その両方を抱えたまま、それでも生きるために選んだ妥協点だったといえるでしょう。
◾️隠語の対照|肉を食べるための知恵
| 本来の動物 | 隠語・別名 | 由来・意味 |
|---|---|---|
| 猪 | 山鯨(やまくじら) | 鯨は魚と見なされていたため、「山の鯨」と言い換えた |
| 猪 | 牡丹(ぼたん) | 肉の切り口が花の牡丹のように見えることから |
| 鹿 | 紅葉(もみじ) | 赤身の美しさを秋の紅葉にたとえた呼び名 |
| 馬 | 桜 | 肉色が桜色であることに由来 |
| 兎 | 一羽・二羽 | 獣ではなく鳥として数えるための言い換え |
| 狸 | 野猫 | 家畜の猫とは別の存在として扱うための隠し名 |
ジビエは「食」ではなく「薬」だった
当時の日本人にとって、ジビエは贅沢なごちそうではありませんでした。それは「薬喰い(やくぐい)」、つまり養生のための食事でした。
猪肉は「五臓を補い、体を温める」とされ、冷えやすい冬を乗り切るための力になると信じられていました。脂身は切り傷や火傷に塗る薬としても使われ、足腰を強くすると考えられていました。
鹿肉は「血を養い、巡りを良くする」もの。産後の回復や顔色の改善に良いとされ、現在でいう滋養強壮食に近い位置づけです。
兎肉は消化が良く、「胃を丈夫にし、毒を出す」食べ物として、病中病後の養生に重宝されました。
冬の寒さには猪、体力回復には鹿。こうした対応関係は、現代の栄養学とは違いながらも、自然と身体を観察してきた生活の知恵そのものです。
江戸の「ももんじ屋」は、食のプロだった
江戸時代、両国などには「ももんじ屋(百獣屋)」と呼ばれる店がありました。ただし、これらは肉屋ではなく、表向きは薬屋として営業していました。
看板には「山くじら」「養生所」といった言葉が掲げられ、提供される肉は効能と結びつけて扱われていました。
現代のレストランが産地や熟成にこだわるように、当時のももんじ屋も「この肉は体をどう養うのか」という品質に命をかけていたのです。味以前に、効くかどうか。それが最大の評価軸でした。
生類憐れみの令を出した徳川綱吉でさえ、健康維持のために肉を「薬」として献上されていた記録があります。彦根藩が将軍家に牛肉の味噌漬けを養生薬として届けていたことも、その象徴でしょう。
神社が与えた「食べてよい」という許し
神社参拝とジビエは、一見すると相反する存在に見えます。殺生を戒める信仰と、動物を食べる行為。しかし、日本では両者が深く結びついてきました。
その代表例が、諏訪大社の「鹿食免(かじきめん)」です。これは「諏訪の神の慈悲によって、鹿を食べても罪にならない」とするお札でした。
肉を食べる前には、命の役割が尽き、魂は神のもとへ帰り、身は人の養いとなる、という趣旨の言葉を唱えたと伝えられています。ここにあるのは、食欲の正当化ではなく、命を背負う覚悟でした。
また、秩父神社の参拝後に行われる「直会(なおらい)」も、神に供えたものを分かち合う行為です。ジビエもまた、「神からのお下がり」としていただく命だったのです。
信州・諏訪大社には、「耳裂鹿(みみさきしか)」という不思議な伝承が残っています。かつて御頭祭では75頭もの鹿の首が供えられ、その中には必ず耳の裂けた鹿が含まれていたといいます。
この鹿は、神が自ら選び、遣わした印と受け取られました。人が選んだのではなく、自然や神意が示したサインだったのです。
諏訪大社上社 前宮の十間廊では、供え物が検分されていたと伝えられ、耳裂け鹿は諏訪の七不思議の一つに数えられています。ここには、「殺してよい」という免罪ではなく、「選ばれた命を、責任をもっていただく」という思想がありました。
自然と対話しながら命を受け取る。この感覚こそ、日本人が長く大切にしてきたジビエの精神性なのかもしれません。
諏訪大社上社 前宮の十間廊
まとめ|「山鯨」は、生きるための知恵だった
猪を「山鯨」と呼んだ背景には、禁忌をかいくぐる狡さではなく、生き抜くための知恵がありました。
薬喰い、隠語、神社の許し。それらはすべて、命をいただく行為を軽くしないための装置だったのです。
秩父で出会うジビエも、かつての日本人が山鯨と呼び、大切に食べてきた歴史の延長線上にあります。
その背景を知ることで、目の前の一皿は、単なる肉ではなく、命をつなぐ文化として立ち上がってくるでしょう。

