登り切った身体が、しし鍋を欲する。

秋から冬へ、身体が自然に感じ取るもの11月下旬の大山。大山寺の紅葉はまだ赤みを残していますが、山を渡る風には、すでに冬の気配が混じっています。

急な石段を登るにつれ、足に負荷がかかり、参拝は思った以上に体力を使います。

大山阿夫利神社へはケーブルカーを使えば、下社までわずか6分ほどで着きます。それでも、紅葉を楽しむには、あえて40分から60分かけて女坂を歩いて登る人が少なくありません。

大山阿夫利神社下社に立つと、視界が一気に開け、相模湾まで見渡せる景色が現れます。参拝を終え、ケーブルカーで一気に山を下り、こま参道に戻るころ、身体ははっきりとした疲れと冷えを抱えています。

冷えと疲れを抱えた身体が、求めているもの——しし鍋(ぼたん鍋)です。

※大山阿夫利神社への行き方や駐車場については、別記事で詳しくまとめています。
>>大山阿夫利神社へのアクセス方法と駐車場ガイド

登り切った身体が、しし鍋を求める理由

大山寺の紅葉女坂の中腹にある紅葉名所:雨降山大山寺

祈りと同時に消耗する、参拝という行為

参拝を終えたあと、なぜこの山でしし鍋が選ばれてきたのか。その理由は、信仰と同じくらい、身体の実感に根ざしたものです。

江戸時代、大山講の人々は数日をかけて歩き、この急坂を登り切りました。参拝は祈りであると同時に、身体を極限まで使う行為でもありました。

冷えと疲れに応える、滋養としての猪肉

登拝を終えた後に必要とされたのは、精進から日常へ戻るための「精進落とし」であり、消耗した身体を立て直すための滋養でした。

猪肉は、身体を内側から温め、疲れた足腰を支える食材として受け止められてきました。現代の言葉で言えば、良質なタンパク質と脂を、無理なく摂取できる食事です。

大山のしし鍋に多い濃厚な味噌仕立ては、単なる嗜好ではありません。寒さの中で冷え切った身体に、確実に熱を届けるための知恵として、選ばれてきた味です。

女坂女坂:男坂と思われるほどの急勾配!

「雨降山」の御神水が育む、命の循環

雨を司る霊山がもたらす、恵みの背景

大山は、標高1,252メートルの霊山として古くから『雨降り山』と呼ばれてきました。その山頂と中腹(下社)に鎮座するのが、大山阿夫利神社です。

雨を呼び、恵みをもたらす山。農耕の神として、関東一円から厚い信仰を集めてきた理由は、その名に込められています。

水から獣へ、人へと巡る生命の流れ

大山阿夫利神社下社・拝殿の地下から湧き出る「神泉」に手を触れると、11月末の冷えた空気の中でも、その水の冷たさがはっきりと伝わってきます。澄み切った水は、山の内部から脈打つように流れ出し、背筋を正す感覚をもたらします。

この水が山を潤し、草木を育て、その草木を食べて山の獣たちが育つ。そうした循環の中に、人の暮らしも含まれてきました。

参拝とは、神前で手を合わせる行為だけで完結するものではありません。この山の恵みをどう受け取り、どう身体に迎え入れるかまで含めて、一つの流れとして続いているようにも思えます。

大山阿夫利神社下社「神泉」神泉を組む

身体を温める「こま参道」のしし鍋(ぼたん鍋)

下山後に待つ、門前ならではの食の時間

阿夫利神社駅から大山ケーブル駅に降りてきてから、こま参道を下っていくと、踊り場ごとに描かれた大山独楽のタイルが、歩調を整えてくれます。

誇張しない味が、身体に残る理由

こま参道沿いには、しし鍋(ぼたん鍋)を名物とする食事処もあります。

大山ケーブル駅の近くには、昔から山の恵みを扱ってきた老舗があり、猪鍋を一人前から気軽に味わえます。また、豆腐料理で知られる旅館や宿坊の中には、地元産の猪肉を使った鍋を静かに提供しているところもあります。

店構えはさまざまですが、共通して感じられるのは、肉を誇張せず、丁寧に扱おうとする姿勢です。強い香辛料で覆い隠すのではなく、味噌や出汁でゆっくりと煮込み、身体に馴染ませていく。

それは、この山で生きてきた命を、消耗した身体に無理なく迎え入れるための、誠実な方法なのだと感じます。

しし鍋(ぼたん鍋)

まとめ|冬の大山が教えてくれる、命の「直会」

大山阿夫利神社での参拝は、歩くこと、祈ること、そして食べることが自然につながっていく行程です。石段を登り、山の空気に身を置いたあと、身体が求めるものとしてしし鍋(ぼたん鍋)が用意されてきた理由も、そこにあります。

参拝後にいただく食事は、神に供えたものを分かち合う「直会(なおらい)」という考え方とも重なります。難しい作法を意識しなくても、季節と身体の声に耳を澄ませ、その土地の恵みを受け取ること自体が、直会のかたちなのかもしれません。

秋から冬へと向かう相模の山で、冷えた身体を温めるしし鍋を囲む時間。大山は、参拝と食を通して、命の循環を静かに実感させてくれる場所です。

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