
日光の静寂が育む、聖域の恵み「日光ジビエ」との出会い
世界遺産・日光と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、豪華絢爛な社殿「日光東照宮」と、観光客でにぎわう参道の光景でしょう。
しかし、その賑わいから一歩奥へ進むと、森に包まれた境内には、ひんやりと澄んだ空気が流れています。
杉木立を渡る風や湿った土の匂いの中で、ふと姿を現す鹿たちは、この場所が今も「生きた聖域」であることを静かに伝えてくれます。
この記事では、神の使いとして敬われてきた日光の鹿と、現代において鹿肉(ジビエ)として向き合う理由をたどります。
食べるという行為を通して、私たちが森の循環にどう関わっているのかを考えていきます。
二荒山神社に受け継がれてきた「神鹿」観
山と人を結ぶ存在としての鹿
日光の山々、とりわけ男体山を御神体とするこの地では、古くから鹿は神の使いとして大切にされてきました。
山と里を行き交い、季節の移ろいを知らせる存在として、鹿は人と神を結ぶ象徴でもありました。
東照宮の彫刻に刻まれた天下泰平の思想
日光東照宮の彫刻に目を凝らすと、獅子や猿、そして有名な「眠り猫」など、多くの動物たちが姿を現します。
とくに眠り猫は、穏やかに目を閉じた姿で彫られ、戦乱の世が終わり、徳川家康によってもたらされた平和な時代を象徴するといわれています。
さらに、この眠り猫の裏側には、竹林で遊ぶ雀たちが彫られています。
眠り猫の裏側で遊ぶ雀たち

本来は捕食する側とされる猫と、捕食される側の雀が共に存在する構図は、力ある存在のもとで弱いものも安心して暮らせる世界、すなわち天下泰平の到来を表しています。
それらは単なる装飾ではなく、自然と共に生き、調和を尊ぶ精神性の表れです。
生態系の変化が突きつける神鹿の現在
かつてこの地では、鹿を殺めることは厳しく戒められ、命を奪う行為は大きな罪とされてきました。
しかし時代が下り、森を巡る状況は大きく変わりました。
狼が姿を消し、天敵を失った鹿は数を増やし続け、若木の樹皮は剥がされ、白く立ち枯れた木々が目立つようになりました。
春になるはずの希少な高山植物の群生が、一夜にして食べ尽くされてしまう現実もあります。
神の使いとして守られてきた存在が、皮肉にも森そのものの循環を揺るがす存在となってしまったのです。
管理と活用から生まれた「日光鹿」という選択
地域と森を支える鹿肉ブランドの基準
この葛藤の中から生まれたのが、「日光鹿」という考え方です。
日光の鹿肉(ジビエ)を、地域と森の未来を支える資源として捉え直す取り組みでもあります。
日光市内で捕獲され、迅速に認定施設で適切な処理が施された鹿のみが、その名を冠することができます。
聖域のバランスを保つためにやむを得ず捕獲された命を、ただ廃棄するのではなく、最後まで活かす。
そのために、明確な基準と高い技術が注がれています。
処理工程が決める鹿肉の品質
捕獲後すぐに行われる血抜き、専用施設での解体、徹底した温度管理と衛生管理。
こうした工程を経ることで、鹿肉は透明感のある味わいへと変わります。
牛フィレ肉を思わせる柔らかさがありながら、後味は驚くほど軽やかです。
噛みしめるたびに、奥日光の清流を思わせる清涼な香りが、静かに鼻へと抜けていきます。
日光の厳しい冬を越え、清らかな水と森の恵みを受けて育った鹿の肉は、野性味よりも静けさを感じさせます。
高タンパクで低脂質、鉄分は牛肉の数倍ともいわれ、身体を内側から支えてくれる食材です。
赤身はきめ細かく、雑味がありません。
フレンチのローストや低温調理といった繊細な技法にもよく応える、「高貴な赤身」と呼びたくなる存在です。
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祈りと食をつなぐ現代の直会(なおらい)
ここには、祈りだけでは完成しない現代の直会(なおらい)があります。
直会とは、神道の祭祀や神事の終わりに、神様にお供えした神酒(おみき)や神饌(しんせん)を、神職や参列者が共にいただく儀式のことです。
神と人が同じものを口にすることで、恵みを分かち合い、関係を結び直す行為とされています。
自然への畏敬と、人の技術。その両方がそろって初めて、一皿は成り立ちます。
聖域を味わう、那須・日光の拠点
那須のオーベルジュ|ペンション イグアナの森
那須の高原地帯で、日光鹿を軸にしたジビエ料理を味わえる宿のひとつが「ペンション イグアナの森」です。
オーナー自身が猟師の資格を持ち、仕入れから下処理まで目の届く形で鹿肉を扱っています。
鹿肉のステーキやシチューは、過度な演出をせず、素材の持つ澄んだ旨味を丁寧に引き出した味わいです。
源泉100%の貸切温泉とともに、那須の森で育まれた命を静かにいただく時間が流れます。
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日光門前町のレストラン|実名で出会う鹿肉料理
参拝を終えた帰路、門前町やその周辺には、日光鹿を日常の料理として提供する店があります。
「焼肉山道」では、極秘のタレを絡めた鹿肉のカットステーキが名物として知られ、ご飯と相性の良い力強い一皿を楽しめます。
また、「本家伴久」や「上屋敷 平の高房」といった旅館では、臭みのない鹿肉のたたきが供され、あっさりとした味わいが印象に残ります。
さらに、「食事処 遊喜」や「山島屋」では、新鮮さを活かした鹿肉の刺身を味わうことができ、初めて鹿肉に触れる方にも親しみやすい食体験となっています。
これらの店に共通しているのは、鹿肉を特別な珍味としてではなく、土地に根ざした食材として扱っている点です。
歩き疲れた身体を、ゆっくり癒してくれる食事の時間が、参拝の余韻をより深いものにしてくれます。
「買う」という選択|通販で日光鹿を迎える
旅の余韻を持ち帰りたい方には、日光周辺で鹿肉を購入するという選択肢もあります。
湯西川温泉郷や今市エリアには、鹿肉や猪肉といったジビエを扱う精肉店があり、家庭でも日光の恵みを味わうことができます。
近年は、現地を訪れなくても通販を通じて鹿肉を手に入れることが可能になりました。
たとえば、湯西川温泉に店を構える阿部精肉店では、鹿肉のほか熊肉や猪肉、馬肉などをオンラインで販売しています。
また、今市にある渡辺和哉商店でも、鹿肉を中心としたジビエを通販で購入することができ、地元で扱われている新鮮な肉を自宅に届けてもらえます。
さらに、日光畜産では、鹿肉を含む各種精肉を公式サイトから注文でき、品質管理の行き届いた肉を安定して入手できます。
スライス肉やブロック肉、煮込み用など用途に合わせて選べるため、自宅でシンプルなステーキや煮込み料理に挑戦するのも一つの楽しみです。
食べるだけでなく、選び、調理し、日常の食卓で向き合うこともまた、森の循環に静かに加わる行為といえるでしょう。
まとめ|「神の森」の循環に加わるということ
鹿肉をいただくことは、単なる嗜好や流行ではありません。
それは、増えすぎた命と向き合い、森の未来に責任を持つという選択でもあります。
食べるという行為が、結果として社殿や山々、そしてそこに息づく自然を守ることにつながっていきます。
かつては禁忌とされた神の使いをいただく行為は、現代において新たな意味を帯び始めています。
それは山の秩序を取り戻し、神と人、自然と暮らしを結び直すための静かな儀式ともいえるでしょう。
次に日光を訪れるとき、目に映る美しい景色の背景にある森の循環にも、少しだけ思いを巡らせてみてください。
その一皿は、旅の記憶を超えて、自然と共に生きる感覚を身体に残してくれるはずです。

