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琵琶湖で育つ、冬の命。待つことで、食になる命がある。

発酵から始まる、滋賀の味

滋賀の食文化を読み解くとき、最初に見えてくるのが「発酵」です。この土地では、獲れた命をすぐに食べることよりも、時間をかけて育て、待つことが大切にされてきました。

魚を米と塩に漬けて待つなれずし。肉を味噌に漬け、養生の食として整える知恵。滋賀の食は、速さではなく、時間を味方につけることで形づくられてきました。

その発酵を支えてきたのが、琵琶湖に集まる水の存在です。

[信仰]竹生島に集まる、水の守り

琵琶湖の北部に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)には、宝厳寺竹生島神社が建ち、水の神として弁才天や龍神が祀られてきました。

湖の中に浮かぶこの島は、島そのものが信仰の対象とされ、古くから水そのものを祀る場所として大切にされてきました。

山々に降った雨や雪は、長い時間をかけて沢となり、川となって琵琶湖へ流れ込みます。その水は湖に蓄えられ、やがて田んぼを潤し、稲を育て、魚や水鳥の命を支えます。

竹生島は、その水の集まる湖のただ中にあり、滋賀の人々にとって水の恵みを実感する象徴的な存在でした。

湖の魚を食べ、湖の水で育った米をいただくことは、単なる食事ではありませんでした。

それは、水の守りを身体に迎え入れ、自然の巡りとともに生きることを確かめる行為でもあったのです。

この水の巡りを大切にする感覚が、滋賀の食の土台になり、発酵や保存といった時間をかける食の知恵へとつながっていきました。

宝厳寺と竹生島神社がある竹生島宝厳寺と竹生島神社がある竹生島

[生態]琵琶湖に集う真鴨と、水田の季節

冬になると、シベリア方面から多くの真鴨が琵琶湖へ飛来します。とくに湖北や長浜周辺は、古くから鴨の集まる土地として知られてきました。

真鴨は、日中は湖で過ごし、夕方になると稲刈り後の田んぼへ向かいます。落ち穂や水田に残る生き物を食べて育つその姿は、湖と田んぼが一つにつながっていることを教えてくれます。

この地域では、網を使って鴨を捕らえる猟も行われてきました。その一つが「無双網(むそうあみ)」です。

銃を使わず、網で捕らえるため、肉に傷が入りにくいのが特徴です。捕らえられた鴨は余計な血が回りにくく、身は締まり、脂は静かに甘さを持ちます。

>>[Youtube]網猟(無双網)模擬

コラム:無双網(むそうあみ)とは

無双網は、網を使う猟(網猟)の代表的な方法の一つです。

夕方、鴨が湖から田んぼへ移動する通り道や、よく降り立つ場所を見極め、地面すれすれに大きな網を張ります。

鴨が飛び立ったり、着地しようとした瞬間に網に触れ、そのまま包み込むようにして捕らえるのが、この猟の特徴です。

銃と違って、弾による損傷が出ません。そのぶん、捕獲後の血抜きや温度管理など、肉をきれいに仕上げるための手当てが重要になります。

なお、網を使う猟を行うには、狩猟免許(網猟)を取得し、狩猟者登録をしたうえで、定められたルールの範囲で行う必要があります。

冬の真鴨は、寒い季節を越すための確かな滋養として、滋賀の人々に受け入れられてきました。

狩猟制度の基本については、滋賀県の公式案内が参考になります。
>>[滋賀県ホームページ]狩猟免許試験の案内

[歴史]彦根藩が支えた「養生としての肉」

江戸時代、表向きには肉食が慎まれていた時代にも、滋賀では例外的な食の扱いがありました。とくに彦根藩では、牛肉をただの嗜好品としてではなく、身体を養うための食として捉えていました。

彦根藩は、牛肉を味噌に漬けた反本丸(へんぽんがん)」と呼ばれる養生の食として、将軍家に献上していました。これは、滋養強壮を目的とした特別な食であり、体調を整えるために用いられていたものです。

肉をそのまま食べるのではなく、味噌に漬け、一定の時間を置く。このひと手間によって、肉は保存しやすくなり、独特の臭みもやわらぎます。同時に、味噌の力によって身体に取り入れやすいかたちへと整えられていきました。

滋賀では、命をいただくとき、すぐに力へと変えることを急ぎません。いったん時間に委ね、整えてから受け取る。その慎重な姿勢が、彦根藩の養生食にもはっきりと表れています。

[伝統]時間に委ねる食、なれずし

滋賀の食文化を語るうえで欠かせないのが、「なれずし」です。その中でもよく知られているのが、琵琶湖の固有種であるニゴロブナを使った、ふなずしです。

魚に塩を当て、内臓を取り除いたのち、炊いた米とともに桶へ漬け込みます。あとは人の手を極力入れず、時間に委ねるだけ。発酵の過程で人ができることは多くありません。温度や湿度、季節の移ろいの中で、微生物が静かに働き続けるのを待ちます。

数か月から一年以上の時間を経て、魚の身はやわらかくなり、独特の酸味と深い旨みを帯びていきます。この変化は、手早く仕上げる料理では得られない、時間だけが育てる味です。

この発酵の知恵は、日々の家庭の食であると同時に、祭りや祈りの場とも深く結びついてきました。農村行事の「オコナイさん」では、なれずしをはじめとする発酵食が神に供えられ、湖と田の恵みに感謝しながら、豊かな実りが祈られてきました。

なれずしは、滋賀の人々にとって、すぐに味わうための料理ではありません。季節と季節をまたぎ、時間とともに向き合いながら食べるものなのです。

なれずしなれずし(イメージ)

[養生]腸から整える、滋賀のジビエ食

発酵した食べ物は、すでに微生物の力を借りて分解が進んでいます。たんぱく質や脂質がやわらかく変化し、身体に取り込みやすいかたちへと整えられていきます。そのため、胃腸に負担をかけにくく、静かに、しかし確かに力を届けてくれます。

一方で、真鴨は自然の中でしっかりと動き、寒さを耐えて育ったジビエの命です。その滋養は力強いものですが、発酵食と組み合わせることで、尖らず、身体にやさしくなじんでいきます。

真鴨というジビエの滋養と、発酵食の穏やかさ。この二つがそろう滋賀の食は、すぐに変化を求める養生ではありません。食べた直後の実感よりも、数日、数週間と経つ中で、じわじわと身体が整っていく感覚を大切にします。

時間をかけて整えること。その感覚を、滋賀の食は静かに、しかし確かに、私たちに思い出させてくれます。

水辺の鴨

まとめ:命を育てる時間を食べる

滋賀・琵琶湖の食は、水と微生物、そして長い時間に支えられてきました。

獲れた命を急いで消費するのではなく、発酵や保存というかたちで時間に委ね、少しずつ整えてから受け取る。その姿勢が、この土地の食には一貫して流れています。

冬の真鴨も、なれずしも、すぐに完成するものではありません。湖と田んぼ、季節の移ろい、人の手の控えめな関わり。そのすべてが重なり合い、時間の中で静かに仕上がっていきます。

琵琶湖のほとりで受け継がれてきたこの養生は、ジビエを含め、特別な人のためのものではありません。今を生きる私たちが、自分の身体と丁寧につき合い直すための、静かで確かな知恵なのです。

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