参拝は、食によって日常へ還る。[神様と同じ恵みを分かち合う、参拝の締めくくり]

直会(なおらい)とは、神事で神様にお供えした神饌(しんせん)を、祭りの終わりに人が共にいただく行為を指します。

参拝のあと、神事の締めくくりとして行われてきた「直会(なおらい)」。信仰と食がどのように結びついてきたのかを、やさしく解説します。

それは単なる会食ではなく、神様と同じ恵みを分かち合い、その力を身体に迎え入れるための、参拝の最後の儀式でした。

このページでは、「なぜ参拝のあとに食べるのか」という素朴な感覚を手がかりに、直会という行為が持つ本来の意味をたどっていきます。

>>ジビエの原点にある「薬喰い」という養生文化

 拝礼のあと、なぜお腹が空くのか

神社を参拝し、清々しい空気の中で二礼二拍手一礼を終える。

その帰り道、ふと心地よい空腹感に襲われた経験はないでしょうか。それは、決して偶然ではありません。

神域の空気に身を置き、心身が整えられたあと、私たちの身体は本能的に、新しい生命力を形あるものとして取り込もうとします。

参拝によって受け取った目に見えない感覚を、現実の身体へと戻すために、食べるという行為が自然と求められるのです。

ジビエカレージビエカレー

直会の本質は、神様と囲む「共食」の場

神社の祭祀には、「直会(なおらい)」と呼ばれる大切な締めくくりがあります。

直会とは、神事で供えられた神饌を、祭典の最後に神職や参列者が共にいただくことを意味します。

神様に捧げたものを、神様と同じ場で、人も口にする。

この「共に食べる(共食)」という行為によって、人は神霊との結びつきを深め、その恵みを身体に宿すと考えられてきました。

拝礼だけで終わらず、食まで含めて初めて、一連の神事が完成するとされてきた理由が、ここにあります。

参拝とジビエを繋ぐ「直会」の視点

日本の古い信仰では、山そのものが神であり、そこに棲む獣たちは、神の使い、あるいは山の神の分身と考えられてきました。

そうした世界観に立てば、参拝のあとに、その山で育った猪や鹿をいただくことは、きわめて自然な行為だったといえるでしょう。

門前町に立ちのぼるしし鍋の湯気や、鹿肉の一皿——それらは単なる観光グルメではありません。

参拝で受け取ったご神徳を、食を通して身体に定着させるための、現代における直会のかたちともいえます。

鹿のロースト鹿のロースト

まとめ|日常に戻るための「心のスイッチ」

「直会」という言葉には、神事という非日常の緊張を解き、元の生活へと「直す」という意味も含まれているといわれます。

聖域の冷涼な空気から、門前の温かい食事へ。

温かな料理を囲みながら、参拝の余韻に静かに浸る時間は、心と身体を日常へと戻すための大切な切り替えの瞬間です。

参拝して終わるのではなく、食べて日常へ戻る。

直会は、日本人が長く育んできた、信仰と暮らしを結び直すための知恵だったのです。

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